2008年02月05日
正視堂*ヒストリー~その4
昭和が終わり、平成と言う新しい時代
平成2年賀来店オープンしました。(画像は2005年4月移転オープン後のものです)

平成14年4月パークプレイス店オープン。

各店舗情報はコチラ⇒メガネの正視堂HP
そして、平成20年1月30日。
創業者である、会長の臼井近志は82歳をもって永眠しました。
社長より
裸一貫で商売をはじめ、以来七十歳になるまで一生懸命仕事に励んできた父。
骨身を惜しまず働きつつも、暇さえあれば釣り竿を担ぎ、
川や海へ意気揚々と釣りにでかけていた面影が鮮やかに思い起こされます。
仕事に趣味に、日々を楽しむ豊かな心を持っていた父は、
私達へ言葉以上に沢山のことを教えてくれました。
感謝の想いは尽きず溢れてまいります。
昔気質と申しましょうか、笑顔の少ない頑固者でありましたが、
胸の内には家族への深い思いやりと、青春の地上海への熱い思いが秘められておりました。
戦時中に軍役で赴き、過ごした若かりし日々の思い出が、父の郷愁を誘うのでしょう、
三十年もの時を経て再び上海へ訪れた折の、何とも言えぬ感慨深い表情には、
深い喜びが表れていたものでした。
三年前に大病を患い、身体に不自由を残しながらも、家族支え合って過ごした晩年は、
きっと父にとっても幸せだったと信じております。
一粒の種が地に落ちて、豊かな実を結んだように、父は子、孫、ひ孫へと、
その誠実な心を委ねてきてくれました。
別れは辛いものですが、永く受け継がれてゆく家族の絆を、
これからもずっと見守っていて欲しいと願ってやみません。
生前、父と良き思い出を紡いでいただいた皆様へ、眠る父に代わり心よリ感謝申し上げます。
ありがとうございました。

だいすきな ちかしおじいちゃんへ
「ももか みてごらん ほら!」
と、くちに ぼーるをいれて みみからだす てじなを いつもしてくれたね
はーもにかを いつも じょうずに ふいてくれたね
もう あのこえを きくことは できないんだね
もう あのえがおに あうことは できないんだね
あかちゃんのころ よく こうえんにつれていってくれたね
わたしはおぼえていないけど
ちかしおじいちゃんと いっしょにうつったしゃしんが たくさんあります
もう わたしたちのそばに いてくれないんだね
てんごくに いってしまったんだね
ちかしおじいちゃん
これからは てんごくから わたしたちのことを みまもっていてくださいね
わたしも ちかしおじいちゃんが いつも かみさまのおそばで
しあわせにすごせるように おいのりしています
ちかしおじいちゃん たくさんのしあわせを
ありがとう
おじいちゃんは わたしのこころに いつもいるから
ばいばいは いわないね
ももか
祖父の思いを受け継いで、これからもいっそう皆様が快適な眼鏡生活をお送りいただけるよう
スタッフ一同、一生懸命努力して行きたいと思います。
平成2年賀来店オープンしました。(画像は2005年4月移転オープン後のものです)

平成14年4月パークプレイス店オープン。

各店舗情報はコチラ⇒メガネの正視堂HP
そして、平成20年1月30日。
創業者である、会長の臼井近志は82歳をもって永眠しました。
社長より
裸一貫で商売をはじめ、以来七十歳になるまで一生懸命仕事に励んできた父。
骨身を惜しまず働きつつも、暇さえあれば釣り竿を担ぎ、
川や海へ意気揚々と釣りにでかけていた面影が鮮やかに思い起こされます。
仕事に趣味に、日々を楽しむ豊かな心を持っていた父は、
私達へ言葉以上に沢山のことを教えてくれました。
感謝の想いは尽きず溢れてまいります。
昔気質と申しましょうか、笑顔の少ない頑固者でありましたが、
胸の内には家族への深い思いやりと、青春の地上海への熱い思いが秘められておりました。
戦時中に軍役で赴き、過ごした若かりし日々の思い出が、父の郷愁を誘うのでしょう、
三十年もの時を経て再び上海へ訪れた折の、何とも言えぬ感慨深い表情には、
深い喜びが表れていたものでした。
三年前に大病を患い、身体に不自由を残しながらも、家族支え合って過ごした晩年は、
きっと父にとっても幸せだったと信じております。
一粒の種が地に落ちて、豊かな実を結んだように、父は子、孫、ひ孫へと、
その誠実な心を委ねてきてくれました。
別れは辛いものですが、永く受け継がれてゆく家族の絆を、
これからもずっと見守っていて欲しいと願ってやみません。
生前、父と良き思い出を紡いでいただいた皆様へ、眠る父に代わり心よリ感謝申し上げます。
ありがとうございました。

だいすきな ちかしおじいちゃんへ
「ももか みてごらん ほら!」
と、くちに ぼーるをいれて みみからだす てじなを いつもしてくれたね
はーもにかを いつも じょうずに ふいてくれたね
もう あのこえを きくことは できないんだね
もう あのえがおに あうことは できないんだね
あかちゃんのころ よく こうえんにつれていってくれたね
わたしはおぼえていないけど
ちかしおじいちゃんと いっしょにうつったしゃしんが たくさんあります
もう わたしたちのそばに いてくれないんだね
てんごくに いってしまったんだね
ちかしおじいちゃん
これからは てんごくから わたしたちのことを みまもっていてくださいね
わたしも ちかしおじいちゃんが いつも かみさまのおそばで
しあわせにすごせるように おいのりしています
ちかしおじいちゃん たくさんのしあわせを
ありがとう
おじいちゃんは わたしのこころに いつもいるから
ばいばいは いわないね
ももか
祖父の思いを受け継いで、これからもいっそう皆様が快適な眼鏡生活をお送りいただけるよう
スタッフ一同、一生懸命努力して行きたいと思います。
2008年02月04日
正視堂*ヒストリー~その3
昭和50年代の七夕まつりの様子です。


当時、とても力を入れて作ってました。
私、kinokoが子供のころはこの竹町の店の上に住んでいました。
七夕祭が近づくと、輪つなぎや、紙花のかざりが部屋のあちこちにぶら下がっていたのを覚えてます。
その頃の竹町の店の外観と内観です。
このぐらいから、私の記憶にもあります。


↑このいすくるくる回しておこられたな~。


当時、とても力を入れて作ってました。
私、kinokoが子供のころはこの竹町の店の上に住んでいました。
七夕祭が近づくと、輪つなぎや、紙花のかざりが部屋のあちこちにぶら下がっていたのを覚えてます。
その頃の竹町の店の外観と内観です。
このぐらいから、私の記憶にもあります。


↑このいすくるくる回しておこられたな~。
2008年02月03日
正視堂*ヒストリー~その2
昭和30年代ごろの大雪の写真です。
ちょっとわかりにくいですが、竹町の店の角です。
きっと、今日よりも寒かったのではないかと思います。

そして月日はたって、、、

3人の子供たちが次々と結婚して、、、

青年はいつの間にか、おじいちゃんになりました。
当時の店の外壁。

ちょっとわかりにくいですが、竹町の店の角です。
きっと、今日よりも寒かったのではないかと思います。

そして月日はたって、、、

3人の子供たちが次々と結婚して、、、

青年はいつの間にか、おじいちゃんになりました。
当時の店の外壁。

2008年02月02日
正視堂*ヒストリー~その1
昭和21年。
当時21歳だった青年は戦後の焼け野原になった大分の町に
リュックひとつで汽車から降りました。
福岡県行橋市出身のその青年は家業の眼鏡屋から独立して大分にやってきました。
最初は小さな小さな眼鏡屋を大分市、金池町ではじめました。。
当時、眼鏡屋か本屋かわからないようなお店だったそうです。
そのうち、青年はカワイイお嫁さんをもらいます。
お嫁さんと二人で小さな眼鏡屋を切り盛りしていくのでした。
そして、昭和25年。二人に待望の男の赤ちゃんが授かりました。
その後、金池から竹町に店を移しました。
その後、女の子、男の子と、3人の子宝に恵まれた小さな眼鏡屋の夫婦は
昭和の時代を駆け抜けます。
釣りと、お酒が大好きでした。
当時21歳だった青年は戦後の焼け野原になった大分の町に
リュックひとつで汽車から降りました。
福岡県行橋市出身のその青年は家業の眼鏡屋から独立して大分にやってきました。
最初は小さな小さな眼鏡屋を大分市、金池町ではじめました。。
当時、眼鏡屋か本屋かわからないようなお店だったそうです。
そのうち、青年はカワイイお嫁さんをもらいます。
お嫁さんと二人で小さな眼鏡屋を切り盛りしていくのでした。
そして、昭和25年。二人に待望の男の赤ちゃんが授かりました。
その後、金池から竹町に店を移しました。

その後、女の子、男の子と、3人の子宝に恵まれた小さな眼鏡屋の夫婦は
昭和の時代を駆け抜けます。
釣りと、お酒が大好きでした。




